劇場版テレクラキャノンボール2013を毎日観に行っていた日記。

同じ映画を繰り返し観に行く、愛と狂気の日々の記録。

6月30日。33回目。トークゲストは藤木TDCさん。

 ポレポレ東中野での上映9日目。トークショーの出演は藤木TDCさん。

  今日も表のウィンドウへの貼り紙は無しで入り口だけ。

  開演20分前に受付して50番でした。今日はチラシの束が貰えましたよ。月曜だけあってちょっとゆったりした感じ。開場時の整理番号の呼び出しは5番ずつで65番まででした。

 

  上映後、休憩を挟んでトークショー。以下、トークショーの内容メモ。

・ 藤木さん第一声「サッカーのワールドカップに興味が無い人がこんなに居るとは」

 

・ 松尾監督から上映後の挨拶とネタバレ部分に関する話(詳細は省略します)。

 

・ 藤木さんがビデオザワールドのライターを20数年やっていたという話から、初めて会った頃の話。

 当時V&Rは学芸大学にあったが、どの駅からも遠かったので歩いて行くのは大変。そんな中、若かりし頃の松尾監督が目黒の駅まで車で送ってくれたりしたことを覚えている。

 

・ 当時はNHKが安達監督のドキュメントを撮ったりしていたという話から、安達監督が当時撮っていたスカトロAV『わくわく汚物ランド』や『糞尿家族ロビンソン』の話。

 わくわくおっさんと呼ばれていたスカトロ男優さんは、会う前までは凄いインテリの人かと思っていたが実は名古屋在住の日雇い労働者で、稼いだ金はジャズとうんこに全て使っていた。勤務先の寮みたいな所に住んでいたから手紙か電報でしか連絡が取れなかった。など。

 

・ 松尾監督「安達監督はやってる事は面白いが、監督としては下手」

 藤木さん「下手ではなくて前衛。新藤兼人みたいなもの」

 安達監督の作品はそのまま上映するのではキツイが、自分が解説しながら上映するならちゃんとお客さんを楽しませる事が出来る、と語る松尾監督。松尾監督の解説付き上映会、かなり面白そうなので是非実現して欲しいです!

 

・ 松尾監督がV&Rを辞めたのが96年。

 松尾監督「単体女優を撮っていた時代は空回りしていた」

 藤木さん「その時代も悪くはなかった。しかし他にも似たようなモノを撮れる人がいるなぁという感じ」

 91年に私を女優にして下さいを撮って初めてAV監督として評価された。との事。

 

・ 藤木さん「今回驚いたのは、まだテレクラってあったんだなぁという事」

 福岡にはまだ何店舗かあって、札幌は劇中に出てくるお店が何とか生き延びているだけ、というような状態。

 テレクラは昔どこの駅前にもあった、という話から公衆電話やそこに貼られていたピンクビラの話など。

 

・ 松尾監督「何故俺がテレクラに熱くなるかというと、奥さんとの出会いがテレクラだったんだよ」

 藤木さんによると、自分達の世代の人はテレクラで出会って結婚している人が結構居るとの事。人には言えないので黙っているがこっそり教えてくれる。親御さんなどに説明するのが困る。

 

・ 松尾監督がV&R時代に撮った『燃えよテレクラ』『これぞテレクラ』などを今観直してみると貴重な風俗ドキュメンタリーになっている。商売女と男の出会いである風俗の現場を素人が凌駕していく様子。

 

・ 現在のテレクラは(藤木さんが好きな)地方競馬と同じ。それが無いとその街に行かない。その街に行く事も目的。

 今、地方の競輪場は40数箇所あるが、日本中で機能しているテレクラはその数より少ない。

 

・ 藤木さん「過去作と比べて顔出しで出演する素人がこんなに増えている事に驚いた」

 予算の幅で色々交渉していく中で、顔出し無しだと5万円までしか出せないが、顔出しアリだとあと3万円出せて8万円になる。現在の援助交際の相場は1万5千円。だから8万円はデカいので話に乗ってくれる。

 その他の理由として、みのる監督はそもそも顔を隠して出演出来るという話をしていなかったりする。

 スマホの普及でカメラを向けられる事に慣れているというのもあるのではないか。

 藤木さんは自宅での撮影が多い事にも驚いてらっしゃいました。

 

・ 藤木さん「初参加組の若手監督がナンパ出来ないのにも驚く」

 今田は甘えん坊で自分の思った事、喜怒哀楽を全部口に出して言っちゃう。DVD版を観ればわかるが、夜になったら眠たい眠たい、レースをしたら疲れた、などずーっと言ってる。みちるは付き合いが良いのでそんな今田に引っ張られてあんな事になっているが、一人だとちゃんと出来ると思う。

 藤木さん「昔はAV監督の使命として女を連れて来い、という話になるとナンパをしたりして連れてきてたけど、今の時代だと出てくれる女性がそんなに頑張らなくてもすぐに来てくれるから出来ないのかも?」

 藤木さん「自分はずっと雑誌の仕事をしていたが、雑誌の現場でも若手が声かけ出来ないと怒られる。今回のキャノンのような大舞台でそれが許されているのに驚いた」

 松尾監督「自分が腕っぷし自慢みたいな事が好きじゃないのでこういうのもアリだと思っている」

 

・ 藤木さんに映像素材はどれくらいの量だったかと聞かれて、「150~200時間くらい」と答える松尾監督。

 今回の編集は先が全く見えなくなってしまって、2ヶ月の予定が4ヶ月かかってしまった。DVD版は未消化のまま出さざるを得なかった。それを2時間版にする作業は爽快感があった。との事でした。

 

・ HMJM初期の紙ジャケシリーズは今観ても面白いという話から、もうすぐ昔のVシネマが上映される企画がある、今後昔のAVもスクリーンで上映される機会が増えたらいいのにね、というお話。

 最後の話題の前に風邪をひいていて咳をしながらもトークショーに来て下さった藤木さんを気遣う松尾監督が印象的でした。